歴史×配達アプリ×自営業の重層効果、W杯から現在まで

韓国の街を歩けば、コンビニよりもチキン屋の看板が先に目に入ることが少なくない。日本ではチキン専門店はごく一部のチェーンに限られるが、韓国では個人店から大手フランチャイズまで、地域の生活圏ごとに複数店が並存する。これは単なる外食の流行ではなく、冷戦期以後の食料供給体制、IMF危機後の自営業ブーム、そしてアプリ主導の配達経済が重なって生まれた独自の都市文化である。
1.歴史的背景
1960年代後半、ソウル・明洞の食堂で「鶏の丸焼き+生ビール」の提供が始まり、鶏肉とビールの組合せが外食として可視化される(いわゆる“チメク”の萌芽)。1970年代には「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長にともない、食用油や小麦粉などの輸入が拡大し、フライドチキンが大衆化の道をたどる。1977年に国産初のチキンチェーン「リムスチキン・ペドロス」が誕生、1984年にはKFCが参入して、調理・接客の標準化が加速した。1980年代のプロ野球・プロサッカー発足は、観戦×チキンの嗜好を育て、チメクの“型”を強化していく。1997年、鶏肉の輸入自由化で供給面の制約が緩み、外資系を含む新規ブランドの参入が進む。2002年の日韓W杯ではパブリックビューイングとともにチメク需要が爆発。この年の新規開店は13,707店に達し、以後の店舗ストック増の起点となった。
2000年代後半〜2010年代前半、チキン専門店の増加は続く。2009年の専門店数は26,156店、2018年には37,000超。さらに2019年には「チキン&ビール専門店」を含め87,000店に達したとする整理もある(のちに示す2019年85,320店という別統計との乖離は“定義差”による)。価格帯は3〜4人前で約23,000ウォンとされ、外食として手の届く水準が維持された。2013年のドラマ『星から来たあなた』でのチメク・シーンは、中国を含む東アジアでの社会的ブームを誘発し、海外での韓国式フライドチキンの人気に火を付けた。2010年代後半からは大邱チメク・フェスティバルなどイベント化も進み、「韓国の食」を象徴する存在へと位置づけが高まった。

供給面(輸入自由化・フランチャイズ標準化)と②需要面(観戦文化・メディア露出・適正価格)が同時進行で噛み合った点が決定的である。とりわけ2002年は新規開店のピークであり、2000年代のストック蓄積が現在の店舗密度の“初期条件”をつくった。
年表:街角のチキンをめぐる主な出来事
- 1960年代後半 明洞で「鶏の丸焼き+生ビール」——チメクの萌芽
- 1970年代 経済成長で油・小麦粉普及、フライドチキン大衆化
- 1977年 国産チキンチェーン誕生
- 1984年 KFC参入、オペレーション標準化
- 1997年 鶏肉輸入自由化、供給制約が緩和
- 2002年 日韓W杯、チメク需要が爆発(新規開店1.37万店)
- 2013年 閉店数が開店数を上回る
- 2020年 防疫措置で配達急伸、アプリ寡占懸念が顕在化
2. 社会構造の問題点:過密化と脆弱性
2000年代に急拡大した店舗ストックは、2005年頃に飽和感が顕在化し、2013年には閉店8,145店>開店7,880店と転じた。2019年の店舗数は85,320店(別定義では約87,000店)に達し、自治体単位で約1,600店を抱える例も報じられる。加えて過去20年の累計閉店率78.2%という試算は、参入の容易さと退出の多さが同時進行している事実を裏づける。ここから導かれる第一の含意は、同質的出店→価格競争→差別化失敗→撤退という“高回転のレッドオーシャン”が、構造として固定化したことである。
第二に、コスト三重苦が薄利を恒常化させる。すなわち、(a)原材料の上昇(例:冷凍鶏肉約4,600ウォン/kg、前年比+34%)、(b)人件費の上昇(最低賃金の持続的引上げ)、(c)配達アプリ手数料(1件約6,000ウォンの負担例)が利幅を削る。14,000ウォンの販売価格を想定しても、原価・人件費・手数料を控除すれば手残りは小さい。価格転嫁を試みれば、近隣の同質店へ需要が移動しやすい“開放市場”の性格が障害になる。
第三に、労働市場・家計の側面から自営業の受け皿化が持続している。フランチャイズは仕入・オペ・研修の再現性を提供し、未経験者の参入を可能にするが、初期投資・ロイヤルティ・広告費という固定費が損益分岐点を底上げする。ここで生存率を決めるのは、差別化(味・体験・ブランド)とデジタル運営(レビュー衛生・回転率・在庫・衛生管理)の遂行能力であり、可視化されたKPI(平均到着時間、評価、リピート率等)に基づく運営改善が不可欠である。総じて、韓国のチキン産業は過剰ストック×コスト圧力×運営力格差の三位一体によって、「街角の安全網」機能が脆弱化する局面にある。
3. 配達文化:速度価値とネットワーク外部性
韓国の出前文化は歴史的に強靭であるが、2020年の防疫措置を契機にスマホ起点の配達需要が非連続的に拡大した。短期でも、コンビニCUの配達が前月比+76.4%、ベーカリーPARIS BAGUETTEが+50%と伸長した事例が示すのは、「何でも配達」の需要が業態横断で立ち上がったという事実である。供給側では、Baeminが加盟店20万・専業ライダー約2,000人・副業型1.5万人超の弾力的供給体制を整備し、Coupang Eatsが「1人1配達」で10〜30分の速度を訴求した。こうした速度競争は、ユーザーの期待値を「速さ=価値」へとシフトさせ、レビューの星・写真・待ち時間等のアプリKPIを売上の決定因に押し上げた。
このとき重要なのがネットワーク外部性である。すなわち、店密度が高いほど空間距離が縮小→到着時間が短縮→満足度と再注文が増加→さらに店が増えるという正の循環である。都市の単身世帯の多さや夜間稼働の生活リズムと結びつくことで、チキンは配達適合度の高い商材として常時上位カテゴリーを維持する。他方、プラットフォーム市場では寡占化の懸念(最大98%)が表明され、手数料・広告費の水準が店舗収益の支配変数となるリスクが増した。結果として、配達文化は需要拡大のエンジンであると同時に、コスト支配のチャネルとして収益の不安定化を招く二面性を持つ。

4.国民的嗜好としての鶏肉
韓国の一人当たり鶏肉消費量は2023年に15.7kg(骨なしベース)に達し、前年から6%増と推計される。価格対効果の高いタンパク源であることに加え、部位カット品やHMR(簡便調理品)への需要シフト、単身・共働き世帯の増加が消費を底上げしている。統計は骨あり/骨なしや対象品目の違いで数字がぶれるため、指標の定義確認が前提となる。
別の報道では**「1人が月2羽超」と表現され、羽数換算でも日常食としての存在感が強いことが示される。重量換算値(kg)との単位差があるため、羽数ベースと肉量ベースは厳密には比較不能だが、いずれも中長期の増加トレンドを裏づける。
文化イベントも需要を押し上げる。2025年の大邱チメク・フェスティバルは酷暑の5日間で延べ100万人を集客し、猛暑×ビール×チキンという季節需要を可視化した。夏季に消費が高まる参鶏湯(サムゲタン)など、季節料理の存在も「年中低下しにくい底堅さ」を補強している。

まとめ
韓国の鶏肉消費は、価格対効果・商品多様化・世帯構造の変化を追い風に、骨なしベース15.7kg(2023)まで伸長し、羽数換算「月2羽超」という生活実感にまで浸透した。さらに夏季イベントと季節料理が年内の需要谷を埋め、配達生態系は「速さ」を価値化して平日の即時需要を呼び込む。結果として、需要側は厚く・途切れにくい構造に近づいている。
一方で、統計には単位・定義差があるため、行政・業界・研究の各主体は骨なし/骨あり、羽数/重量の整合を取り、時系列の一貫性を担保すべきだ。厚い需要は供給過剰やコスト上昇の万能薬ではないが、業態差別化(部位・衣・油・ソース)とデジタル運営(レビュー・回転・在庫・配達KPI)を噛み合わせれば、プラットフォーム手数料や原価変動の逆風を吸収する余地は拡大する。すなわち、需要の厚み×運営の質を両輪化できるかが、次の成長段階の実効性ある処方箋となる。

記者 長田明香里(東京女子大学)